海龍のつぶやき - Mumbles by the SeaDragon -

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ジャカルタ 過去の大洪水 1996年の思い出

2007/02/07

今回の洪水に関するいろいろな新聞の記事で、今回の洪水2002年以来の大洪水だとか 過去5年間で最大だとか書かれています。  今回の洪水が2002年のものより被害が実際のところ大きいのかどうか 海龍にはよく判りません。 2002年2月と言えば SeaDragon の店舗は 既に 現在の Benhil 地区に移転しています。 Benhil 市場のあたりは 毎年多少は水没するので どれがどれだか 判らんなくなっているんです。 でも1回 大きいのがあったので 多分それが 2002年でしょう。 でもその時は スディルマン通りのBenhil との反対側 セントラル・プラザからアタマジャヤ大学前あたりは水没した記憶がないので 今回のほうが水量的には大きいのでしょう。 また 2002年には停電したという記憶もないので 被害と言う意味では 今回の方が 海龍としては大きいです。

でも そんなことよりも 海龍にとっての大洪水とは 1996年の2月10日から始まった大洪水です。 この時の水量は確実に今回よりも多かったと感じています。 なんせ スディルマン通りの下をBNI 1946 ビルからランドマーク・ビルに抜ける道が 信号機のランプのすぐ下まで水没したのですから。 パッサール・スネン には当時まだ八百半と第1ホテルがあり 邦人にも馴染みのある場所だったのですが、ここの交差点の冠水は大型トラックの運転席以上。 無理を承知で水のなかに突っ込んだ大型トラックが途中でギブアップしている映像が強烈に印象に残っています。

写真は 洪水の数ヶ月後に 某所で見つけた 当局の洪水対策の不手際をちゃかした 洪水記念キャップ。 Jakarta UnderWater と刺繍がしてあります。 下のお話の思い出の品として購入したものです。


で、 この日は海龍にとっては最悪の日だったのです。 1996年の1月から 海龍はバンドンに本拠をおく財閥系グループの不動産開発部門を率いることになり、海龍もバンドンを本拠地としていました。 ジャカルタ近郊での開発案件もあるので バンドンとジャカルタの間を毎週最低でも1回は行き来し、週末は かなりの割合でジャカルタで過ごすという日々でした。

この海龍の移籍に際して オーナーが 車を買ってやるというので おねだりして 白のBMW 320 フル・オプション をオーダーしました。 なかなか納車されず それまでは 代車で やはり白の ボルボに乗っていて やっと納車されたのが1月の末です。

2月10日は土曜日で この週末 OWの生徒 (このころは フリーインストラクターの形で パートとして知人のダイブ・ショップをときどき手伝っていた) の海洋実習ということで、バンドンからシンガポール陸軍からバンドンの幕僚学校に留学中の知人(当時 少佐)を乗せて 早朝5時前にバンドンを出発して ジャカルタに向かっていたのです。 (ちなみに 海龍は昔から車の運転は自分ですることが多いんです。 BMW 320 をおねだりしたのも バンドン - ジャカルタ 間をぶっ飛ばすには この大きさとパワーが最適だからです) プンチャックを越えたあたりから雨が強くなってきました。 高速に入ったころは ワイパーもきかないくらいの豪雨。

とにかく ジャカルタまで来て高速アンチョール出口を降りて まずは マンが・ドゥアにいる女房をピックアップと思ったら、グドゥン・サハリ通りが水没で通行できません。 しかたがないので コタ駅の裏を回って西側からマンが・ドゥアにアクセスすることにしたのですが そちら方面も冠水状態。   ここまでは 隣で威勢のいい陸軍少佐が 「いけ~! 突入~!」 とあおるので 強気で進んできたものの その先はやはり 通行不可で  女房にSUVでアンチョールに来るように電話して アンチョール方面に戻ることにしました。

この途中でさしものBMW も アウト。  さっきよりも増水していたのでしょう。 ここから 水遊びをしていた地元の少年達 10名位に車を数百米押させて すこし高台にある ホテル アンチョールへ避難。 なんとか ここにやって来た女房と合流して 2泊3日をこのホテルで過ごすことになったのです。 その後の情報では 増水が続き、市内を移動できるのは ジャカルタ首都高速の高架部分だけとさえ言われていました。 その高速道路も 住民が車の避難先として 車を持ち込み駐車しているので使えるのは1車線だけなので渋滞。 出口で降りても 市内はほとんどどこへも行けない との事でした。

陸軍の少佐殿は 月曜日にバンドンにどうしてもいないといけないとかで どこで話をつけたのか インドネシア陸軍の輸送車でバンドンに戻ることに。 (だいたい お前が横で煽るから こんなことになったんじゃ~!)

車はと言いますと 市内各地で同様な自体が発生しており 10日間以上も このホテルで預かってもらうことになりました。 当時 女房は 某ホテルのマネージャーをしており このホテルのディテクターと知り合いだったので助かりました。 さて修理はというとエンジンの部品のかなりの部分の交換。 しかも 一部部品は ジャカルタになく 海外の別の生産拠点からの取り寄せで 新車購入額の1割にもおよぶ修理費用、 保険はでません。 

しかも 2月10日は オーナーの甥の結婚式だったのをばっくれて ダイビングをやりにジャカルタに来ていたのが オーナーにばれて 修理費は自前かなぁ・・・ と嫌味は言われるし。 (でも 泣きついて 会社で出してもらいましたけど)

まだまだ おまけがあります。 結局 2週間程度しか乗っていないこのBMW はなんと 戻ってくるまでに3ヶ月以上もかかったのです。 で、 ショックなことは 確か5月のはじめに BMW 325 が インドネシアで販売開始となったのです。 しかも 320 との差額は 5%以下。 要は 半年 代車でがまんしていれば もっとパワーのある 325 を 320 新車価格+ 修理費 以下で入手できていたのです。  また それを おもしろがって オーナーの親父が 事あることに言って 海龍の心をいたぶるのでした


と言うわけで 海龍にとって 1996年の大洪水は 忘れられない洪水となったのでした。



ちなみに この BMW は 1998年のジャカルタ暴動の時にも 大活躍をし バンドン(自宅) - ジャカルタ(自宅) 間 (一般道 スバン→・チカンペック高速) 1時間15分 という大記録を打ちたて 非常に愛着のある車となり 最後は黄色に再塗装して 10年間も乗ることになりました。


ジャカルタ大洪水 シリーズ



 

[2007/02/07 記]  

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