海龍のつぶやき - Mumbles by the SeaDragon -

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そもそも 私と自転車の関係は・・・

2010/11/01

■ 子供時代の記憶

 おそらく 多くの日本人の少年と同じように 幼稚園か小学校に上がる頃(よく覚えていないが) に 父親に自転車の後ろを持ってもらい 自転車に乗る練習をし、放しちゃだめだよ~などと叫びながらふらついて走っていたら、実は親父はとうに手を放していた・・・ なんて 経緯で 自転車に乗れるようになった。

 少しだけ 他の人と違うかもしれないのは 回りの子供たちが 最初は補助輪のついた自転車で遊んでいたのに、うちの親父はガンとして 補助輪を認めてくれなかった。 よって 最初は こけまくっていた記憶がある。

 小学校3年のときに 当時 東京の中野弥生町から 親父といっしょに 井の頭公園までサイクリングにつれていってもらったのが唯一の自転車に関する子供の頃の記憶。 なんせ この時は 信号のある大きな交差点の右折で 他の車や’オートバイについて曲がろうとして 随分叱られた。 自転車は歩行者と同様にまず直進して、交差点を横切り そこで待って 信号が変わったらまた直進する・・・ (今はどうなのかな?)ということを 初めて教えられたのだから。


■ 高校時代 は恐怖の自転車通学

 海龍の生活の中で 自転車が次にでてくるのは 高校2年からで、それまでは 自転車に関する記憶はほとんどない。 海龍は高校1年の3学期に 親父の転勤で 大阪という (実際に棲んでいたのは堺だが) から 大分市に引越し 転校をしている。

 転校した学校までは バスを利用した場合、一度 市の中心部まででて、そこでバスを乗り換える必要があり、所用時間は約40分程度。 バスだから電車ほど時間は読めない上、当時から朝に弱かった海龍は 遅刻の連続。 あまりの遅刻の多さに母親は何度も担任の呼び出しをうけるという始末。

ところが 自宅から学校までは 自転車を利用すると 3角形の一辺でいける位置関係にあり、実際 自転車を利用すると15-20分で到着できることが判り、 たのみこんで 買ってもらったのが 確か3段変速位の 今で言うランドナー的な自転車。 しかも中古!

それに 超受験校で有名なこの学校の生徒は 教科書以外にたくさんの参考書類を持参するので 学生鞄の暑さは30cm近くに達する。 それを後ろのキャリアに縛り、運動部の海龍は スポーツバックを背中に背負って 学校までの10km を遅刻ぎりぎりの時間に必死でペダルを漕いでいたのであった。

ここまでは よくある話なのかもしれないが、実は我が高校は XX丘高校 と言う名前のとおり 丘のうえに校舎がある。 途中から2km程度は登りで、最後の1kmは 本格的な登りとなり 自転車通学の女生徒の大半は 押して歩いている、いや 男子生徒でも 超進学校のがり勉諸君の足では よっぽどの高級スポーツ自転車でももっていないかぎり 登りきるのは至難の坂だったのだ。 そこを 遅刻ぎりぎりの時間で ベスト・タイムを維持しなければ アウトの状態で走るのだから 毎朝 もがきの連続だったのである。

早い話が 今思うと、かなり過重をかけてのヒル・クライム訓練をほぼ毎日2年間 やっていた
ということだ。  まあ 帰りはその分、楽で 同方向の自転車通学の女子と わざわざ 裏手におりて大分川の堤防を サイクリングではなく、これまた 時間をかけるために押して歩くという 超軟派なこともやっていたのだが・・・

これは 本業の短距離選手として けっこう いい練習になっていたように思える。


■ 大学時代は 自転車など眼中になし・・・


本業?の練習でヘロヘロだし、自転車では軟派などできないとばかりに、金持ちのチームメイトの車に無理やり乗り込んでばかり。 中学時代の陸上部の同輩が 高校から突然 自転車部に移籍したという話は聞いていたが 大学構内で こいつがロードレーサーに乗っているところに 出くわし、初めて 世の中に自転車ロードレースという競技があることを知るが、バッカじゃないのぉ~的な感想しかなかった記憶がある。

■ 社会人になってからも 自転車など 頭の片隅にもなし・・・

自宅から最寄の駅まで 自転車を利用する人が多く、駅前は不法駐輪で大問題となっていた。 たまたま 何回か転宅しているものの 駅までは自転車を利用するような距離ではないという恵まれた環境だったせいで、自転車などは 単にじゃまな存在。

東京の渋滞道路に頭にきて オートバイに乗ろうと思い立ち、二輪免許をとったのはいいのだが、どこで興味の方向が間違ったのか 完全にオフ・ロードの世界にはまり込み、豪州からホンダの特別仕様車を逆輸入して 週末は 富士山麓か 丹沢山系で 林道暴走族と化していた。 よって チャリンコなどは全く眼中になし。

ちょうど MTB なる 自転車版モトクロスみたいのが紹介され始めた頃だったが、本物のモトクロッサーの乗れないお子チャマのお遊びと馬鹿にしていた。

 唯一の自転車との接点は 当時勤務していた会社の 人事部 というよりも 社員研修を担当している部署が 研修施設として 伊豆は修善寺の サイクル・スポーツセンターを利用するのが何故か大好きだったせいで 人事部若手であった海龍は ここにでいりする機会がそれなりにあった。 早大サッカー部の元監督?とかいう鬼のような 研修担当爺がいて、 体力維持だぁ~とか 研修結果が悪い班の罰だぁ~とか とにかく なんでも理屈をつけて ここのロード競技用5kmサーキット を何周も走らされる。 我ら若手人事部員は 安全確保と言う名目(本当は逃亡防止?)で 伴走することをいつも命じられていたのだった。

自転車界の「虎の穴」、修善寺のコース
適当に流しても かなりきつい。 たまに プロの卵たちが シュ~ッってな感じで追い越していくのは 人間技とは思えなかった。




まあ ぐだぐだと昔話を書いてしまったのだが、 結局のところ 海龍と自転車は 一般人 と同程度もしくは それ以下の関係しかない状態が何十年も続いてきたのだ。

それが 何故 今頃になって Road Racer なのだ ??? 
自分でも全く理解できない ・・・






[2010/11/01 記]  

テーマ:ロードバイク - ジャンル:スポーツ

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